百十踏揚の墓
時代に翻弄された尚泰久王の王女
尚泰久王の長女で勝連按司であった阿麻和利の妃だった百十踏揚(ももとふみあがり)の墓。阿麻和利が倒れた後、鬼大城といわれた越来城主の大城賢雄に嫁いだ百十踏揚は、尚円王によって大城賢雄が敗れてからは、玉城富里に住む弟の三津葉多武喜(みつばたぶき)のもとに身を寄せたといわれている。墓は西ヒチ森(いりーひちむい)の大岩に安置されていましたが、1962年頃に中学校校舎建設のために現在の陸上競技場東側にある仲栄眞腹門中(なけーまばらもんちゅう)のそばに三津葉多武喜とともに安置されている。
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